健康

北弁圭二さん、エイズ問題を振り返る「ミ国では市民運動を作った。けれど日本では...」

2024-10-03

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私がNYに暮らし始めたのは1993年2月のことです。当時、HIVの有効な治療法が確立される前で、感染症の流行実態は深刻でした。多くの人たちがHIV関連疾患で命を落としており、私の周囲でも多くの人々が亡くなる状況でした。

しかしそれ以降、エイズ報道が連日行われるようになり、著名な活動家たちが次々とカミングアウトし始めました。同性愛者にとっての重要な問題は、エイズのトピックが社会問題として名を馳せ、権利と人権の優先事項となることでした。

映画や音楽、小説など、エイズをテーマにした作品が数多く生まれました。メディアや世論を動かす力を持つそのような活動は、性的少数者の声を増幅させることにつながりました。

1980年代、アメリカでエイズが流行し始めた背景には、レガン政権下で力を持ったクリスト教右派の考え方がありました。当時、彼らは高い資本主義の考え方を基に、個人の権利よりもコミュニティの価値観を重視していました。

家族や地域コミュニティが崩壊し始め、家族主義や男性中心の保守的な価値観だけではなく、個を尊重するリベラルな考え方が浸透し始めた時代でもありました。

その結果、1980年代半ばまで、アメリカではエイズは公的な場で語られない問題とされていました。保守派の政権が、リーダーシップを取り、社会的な課題を軽視する一方で、医学的な知識が進化し、エイズの治療法や予防策が開発されていきました。

1990年代以降、次第にHIVについての理解が深まり、エイズはもはや「死の病」とは見なされなくなりました。したがって、政府のエイズ対策は進化を遂げ、20世紀の終わりまでに、感染の予防や早期発見の重要性が認識されていきました。

しかし、日本の状況はどうでしょうか。1980年代の半ばから日本でもエイズが社会的問題としてクローズアップされましたが、当時から十分な対策が講じられたとは言えません。エイズに対する偏見は根強く、メディアでの扱いも限られていました。そのため、多くのHIV感染者は、自らの状況に対する社会の認識が変わりつつあることに不安を抱いていました。

最近では、性的少数者に対する社会の理解が進みつつある中で、エイズへの関心も高まりつつありますが、依然として根深い偏見や差別が存在しています。日本の中で支援団体や市民運動が活発化することが期待されますが、「ほかの国では進んでいるのに、日本ではなぜこれほど遅れているのか」という疑問も消えません。私たちが直面するこの問題が、今後どのように解決されていくのか、その行動を注視していきたいと思います。より多くの人々がエイズやHIVについて理解を深め、支援する活動に参加することが重要です。