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【光る君へ】第38回「まるじだん」回想 「源氏物語」と「現実」の間で揺れる人々 または「文学者対決」 父・母との違いは?道長の政治的手法に注目

2024-10-06

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「光源氏=藤原」 と「彰子母=強子」の類似に揺れ動く道長

優れた創作物には読者の心を掴む力があります。「源氏物語」もその存在感を高め、現世に影響を及ぼすことになります。まるで生み出す虚構の世界と、リアルな憂いの世界の狭間で揺れ動く人々が描かれた第38回「まるじだん」でありました。まさに道長です。

道長の長女の中宮彰子(見上さん)が聖成親王を産んだことで、その婚姻が最大の政治問題になりつつある彰子(藤原さん)。本当の母親は皇后定子(高貴さん)ですが、母の忍耐に伴い、若くして強子に仕えていた。

互いに独立な身の上を引き合うその均衡は、観想以上に深いものがありました。彰子は、強子の元を離れて、どれだけの思いを抱いてきたのか。元を離れたくないという思いは深く、親たちの圧力に逆らっていたのかもしれません。その状況を見聞きした道長。あのストーリーと重ねてみると、まさに彼は「源氏物語」の主人公の様に彷徨う遺伝子を受け継いでいるのでは?

光源氏と母の苦しみは密接に結びついており、道長はその呪縛から逃れられない。道長は時には籠絡され、また時には見下ろされる。彼の心に浮かぶ様々な思いを、母の姿に投影しがちだと思います。

大人になったとしても、結局、強子を求めがちで「源氏物語」を思い提げる。強子への感情の執着がある限り、彼の成長を妨げていることに気付かないとも考えがちです。

「万が一にもそうなったなら」 と他者に言わせる要因。強い思いを抱えていた彼は、また同じことを繰り返すのだということであり、巻き込まれるべきではないと道長は迷いを隠しているのでしょう。

道長との違いを考えると、彰子と強子の間にも深淵な溝が成立しているとも言えます。先代の光源氏の父親としての強い意識。