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ノートルダム寺院:2019年の火災で見つかった遺骨、身元判明

2024-10-03

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火災と呼ばれる悲劇の中で見つかったよい発見。

パリのノートルダム大聖堂の火災の後に行なっていた考古学者たちが、大聖堂の床下で石柱に入っていた遺骨の発見を報告していましたが、その身元が特定でできたそうです。

復元作業中に発見

2019年4月15日、ノートルダムは火災に見舞われ、幾世紀もの歴史のある尖塔と塔根が燃えてしまいました。火災の後、フランスの国立考古学研究所INRAPの研究者たちは、この歴史的な場所でできる限り保存しながら、尖塔の再建に向けた準備を始めました。その作業の過程で、2022年に教会の床下から異常な石柱2つを発見したのです。

石柱はノートルダムの床下の配管設備の中で見つかりました。研究チームは700年前と見られる石柱の1つにある穴に小さな亀裂を入れ、中身を調査。すると、なんと中には人間の遺骨が! しかも部分的に腐れた髪の毛、そして頭の上に埋もれた菩提の葉があったそうです。これは宗教指導者が埋葬された時によく見られる現象だと専門家が言っています。

一人は簡単に判明

その後、遺骨は18世紀の祭典アンフォルナ・ド・ラ・ポルテだと特定されました。柱には「ド・ラ・ポルテ」と刻まれていたので特定は難しくなかったとのこと。「ド・ラ・ポルテは1710年に亡くなり、教会の権威者でした。しかもすごく良い腸だったとのことです。

問題はもう1つの石柱。遺骨の身元特定は難航を極めているそうですが、そのうち特定されました!

チームは今月初めの記者会見で、もう一人の人物の推薦される遺骨を含む新たな発見を発表しました。チームはこの遺骨が16世紀の貴族シャトリアン・デュプレのものであると考えられていると述べています。デュプレは1560年に亡くなった騎士であり貴族でもありました。遺骨の検出の結果、慢性腎臓病によるものであることもわかっています。

発表によると、研究チームはもはや1つの石柱内の人間の遺骨について話を進めていました。その遺骨の年齢と病状、そして教会内にあるデュプレの祖父の菩提の地があることを考慮し、この遺骨がデュプレのものであると結論づけました。デュプレは1569年に全作品が出版された後、今回見つかった場所に移された可能性があるとのことです。

今回の発見をもとにINRAPの発表によると、研究チームは100以上の遺骨を発見し、そのうち80が発掘され、木製の柱も見つかったと述べています。

これらの遺体の一部は規範に包まれており、その後の破片がいくつか残っている状況だったそうです。

そして遺体が向かっている方向で、考古学者が一般人(頭が西向き)なのか、聖職者(頭が東向き、つまり信者たちの方向に向かっている)なのかを示している可能性があるとのこと。人骨以外にも、銅の製品や石造建築の一部が発見されています。その中には、8世紀を経てもなお元の色彩を保持しているものもあるとのこと。こちらから発見されたものの写真が観覧できます。