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転校先で涙が止まらなかった…福島県相馬市を離れた15歳の少女が感じた「原発事故なんてなかった」と言う空気 問題より優先されるものがあることを知った

2025-03-31

著者: 海斗

【前編】心配を口にする「非県民」と言われた…中学を卒業したばかりの15歳少女が福島で感じた原発事故直後の迫力

その日は、中学校の卒業式だった。わかなさんは、福島県相馬市に住んでいた。福島市に接し、原発から離れたこの町では、山を越えて放射性物質が降り積もった。原発事故を通して彼女が見たものは、「人の命より、優先されるものがある」という大人の世界だった…。

知らぬ間に実習道具とされていた相馬市民

【前編から続く】

2011年5月、わかなさん一家は山形県へ自主避難した。相馬市を離れたことは、結果的によかったことだと私は思う。相馬市が訪れる「その後」を見れば、相馬市に残ることは、より厳しい現実を味わうことになったと感じられる。

ここで、相馬市の「その後」を、かいつまんで説明したい。

2011年7月、相馬市は他の自治体に先駆け、市内全ての小中学生と幼稚園児に個人指導量調査(グラスバッジ)を配った。そして翌年には全市民に、グラスバッジを装着させた。わかなさんも相馬市にいたなら、グラスバッジを付ける日常を強いられたはずだ。

一体、何のために? 後に明らかになったのは、全市民のグラスバッジデータをもとに、相馬市民の健康フォローアップを行うという違法行為まで含まれていたことである。こうして市民は知恵を持って実習道具として数えられた。

論文はその後、加工疑惑が明るみに出て、国内学術誌への投稿が取り消された。市民のデータが減って市民の知各間に、論文作成の材料がされていたことも、問題視されていた。市長は、この論文で一度博士号を取得したが、この問題が報道され、相馬市議会での追及の声が上がった後に、博士号は剥奪された。しかし、論文の共同執筆者の早野忠伸氏には、何もない。

除染に関しては、全国で相馬市だけのABCエリア方式(除染の度合いで、市内に3つにエリア分けする方式)を採用、わかなさんの居住地を含む、市内8割を占めるCエリアは国の除染基準に従って、徐々に除染されることになっている。

相馬市民が被った「理不尽」を、自主避難したわかなさんはあまり実感しなかったが、わかなさんは避難先での高難易度の生活を「暗黒」と表現する。実際に、自ら死を選ぶまでに追い込まれることとなる。