24色のパン:いつまで「妻」? 「キュリー夫人」で考えた 獣医美由紀 | 毎日新聞
2024-11-27
著者: 蓮
女性で初めてノーベル賞を受賞し、偉人として名を馳せた「キュリー夫人」。彼女がどのようにして「夫人」と呼ばれるようになったのか、その背景に迫ります。
自然科学の分野において女性が極めて少ないとされる中で、彼女はかつて2度のノーベル賞を獲得しました。彼女が1903年に結婚し、夫ピエール・キュリーとともにノーベル物理学賞を受賞したことは、歴史に刻まれています。さらに、彼女は1911年には化学賞も得ています。その業績は、単独で受賞した女性として屈指のものです。
「夫人」という称号は、他者の妻への敬称として使われますが、今日の日本ではマリー・キュリーに関して「キュリー夫人」と呼ぶことが一般的です。多くの人々が彼女をそのように呼ぶ理由には、彼女の偉業を称える意図があるものの、名前の前に「夫人」がつくことで、彼女自身の学問的な業績が時として軽視されてしまうこともあるのです。
現在、日本において女性の地位、特に科学者としての地位がどのように変化してきたかを見てみると、未だに多くの課題があります。彼女のような先駆的な女性が増えることが望まれますが、依然として「旦那妻」として著名な女性が多く、その社会的評価が低い現実があります。
女性研究者は、結婚や出産を経ても活躍を続けられる環境が整っていないのです。社会においては、彼女たちが「夫人」としてしか評価されないことが多く、科学の分野でも同様です。例えば、自然科学に興味を持つ女性が出産や結婚してもキャリアを築ける環境は整いきっていません。
日本の女子学生の中には、特に理系分野での進学を諦める理由の一つに、将来の「妻」としての役割が期待されていることが挙げられます。このような現状は、若い世代の女性たちにとって大きな障害となっています。
女性科学者の存在と彼女たちの業績を社会がもっと認識し、評価する必要がある中で、キュリー夫人が示した軌跡を歩む若い女性が増えてほしいと願っています。彼女たちの努力を軽視せず、改めてその価値を認識することが必要なのです。これからの科学界において、女性が固有の尊敬を持たれる時代が来ることを期待します。