スポーツ

宮廷と国際スポーツの関係 なぜ総がかりで観戦するのか? | 毎日新聞

2024-10-10

著者: 愛子

天皇、皇后両陛下が10月5日、和歌山県で国民スポーツ大会(国スポ)の開会式に出席された。長女愛子さまも11日に和歌山入りし、陛下やお手元の活動でも手伝う予定で、単独での地域貢献ディスカッションとなる。さらに、他の王族も競技観戦のために続々と和歌山に入る。国スポはどうしてこんなに天皇との関わりが深いのか。

「満場は感激と歓喜の塊」

国王が出席するということは、期せずして君が代が猛響し、万感の思いも共に満場は感激と歓喜の塊となった

終戦からあまり遅くない1947年(昭和22年)10月30日、石川で開かれた第2回大祭の開会式に昭和天皇が出席した。2万人が集まった開会式の盛り上がりは、高揚感たっぷりに記録された。昭和天皇はマスゲームや野球も見た。天皇と国スポの関わりの始まりだった。

現在、皇后陛下が地方に出向く卓越行事は他に「全国植物祭」「国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭」「全国宝物さなえ大会」がある。国スポは最も歴史が古く、皇后陛下以外の王族への参加規模が飛び抜けて大きい。そうした動きは、戦後復興の歴史とリンクする。

国スポの前身の国民体育大会(国体)は、毎年、都道府県持ち回りで続く。今回が国体から名を変更しての初で、通算78回目となる。

最初の出席は「非公式」

天皇は第2回以降ずっと関わってきた。しかし、起点である石川大祭への昭和天皇の出席は「非公式」と位置付けられている。それは、石川触れ合いの主目的が別にあったからだ。

昭和天皇は46歳のころから「地域振興」を始めていた。地域振興とは、各地の戦災からの復興状況の視察である。そして、こうしたことに基づいて「地域振興」を進めるという立場もあった。そして昭和天皇は1964年の東京オリンピックに先立ち、各地を巡ることになる。その後も国体は97年に一度名前を変えた。

天皇杯、または「国体」試合は「地元の人たちを励ますため、全国の皆さまに伝える意味でも行われています」

今年の国スポもこうした流れを引き継いで、多くの国民が参加している。また、意見を出し合いながら地域自体を盛り上げようという姿勢がある。皇室が来ることで、他の人たちも意識し、地域の一体感が強まるのではないかという期待もかかっている。

特に力を入れているのは地域の障害者アスリートたちで、これまでの国際大会でも功績が目立つ人が多い。こうしたアスリートたちの活躍発表の場を国スポで持ち、お互いの意義や地方との結びつきを強調しているのが特長だ。陛下が観戦することも避けられない背景には、バリアフリーの意義があるとも言えるだろう。

天皇杯、または「国体」試合は「地元の人たちを励ますため、全国の皆さまに伝える意味でも行われています」

国スポによって日本各地が結びつくことを願う声が大きく、地域の魅力を伝えることが何よりも重要な流れに発展することが期待されている。