火野正平さん死去、75歳。個性的な役柄で親しまれた元祖プレーボーイ
2024-11-20
著者: 健二
個性的な役柄を演じ、独特の存在感で親しまれた俳優、火野正平(本名・二瓶康一=にへいこういち)さんが14日に自宅で死去したことが20日、分かった。75歳だった。家族で葬儀を執り行った。
所属事務所によると、夏に腰を骨折したのを契機に体調を崩したという。芸能界の元祖プレーボーイと呼ばれた名優は、最後まで仕事復帰を願っていたが、力尽きた。
色気ある女性を引き寄せるような気性を持っていた火野さんは、所属事務所が文書で報告。「4月から持病の腰痛の治療に掛っておりましたが、夏の腰部骨折を機に体調を崩し…」と経緯を記した。本来は仕事復帰を願っていたが、叶わず、自宅で家族に見守られ、最期を迎えたと伝えられている。
5月には歌舞伎俳優、松本幸四郎(51)主演の時代劇ドラマ『鞍平審判 老獄の夢』の収録に参加した。この作品が最期の出演作となる予定で、2025年2月8日に時代劇専門チャンネルで放送される。
事務所は死因や最近の様子など詳細について「所在族の意向で公表しません。あのおれの会は未定です」としたが、親交の深い俳優たちがSNSで「最後は女房や家族に手を引かれながら逝った先輩 柔らかい」と投稿した。
東京出身の火野さんは1961年から活動。作家、浜田光太郎さんが名付け親であり、73年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』で誕生の記憶がある。それ以降、時代劇や任侠ものなどに多く出演した。東京オリンピックで国際的に名を馳せた1971年には一般女性と結婚。長男と長女をもうけたが、70年代から数々の女性と浮名を流した。
事務所によると、彼の最初の妻は離婚し、長男が生まれた後、約40年前に交際していた女性と再婚。子供は2人で過ごし、2016年には半生記『よくなるには、時間がかかる』も出版された。
健康面でも様々な問題に直面していたようで、慢性的な腰痛を抱えつつ、定期的に自身の健康管理を行なっていた。火野さんは「人間として、現役であり続けたい」と常々語っていたという。未だ多くのファンに愛され続ける火野正平さんの業績は、今後も語り継がれることでしょう。