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与田剛は落合博満の言葉に救われた。なぜプロ11年目から捨ての座をもらったのか?

2024-10-06

セーブ制度導入50年~プロ野球年表

与田剛が語るプロ11年目でセーブ王獲得の真実(後編)
前編:与田剛はプロ1年目に突然のクローザー転向を言い渡されたのはこちら。

1990年の開幕戦まで、残り10日あまりとなった3月末。中日のドラフト1位ルーキー与田剛は、観客の星野仙一から「捨てる」と指名された。前年まで捨てを務めていた郷田治は怪我で出遅れ、代役の最有力候補として与田の名が続いた。驚くべきルーキーに星野からの指令は、これまでの与田だった。実際の状況を与田に聞く。

プロ11年目に31セーブを挙げ最優秀救援投手のタイトルを獲得した与田剛 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【新人だからこそできた守護神】

「星野さんからは、捨て投手としての快感を延々とお話しされました。指名はまったく想定外でしたけど、僕は元来、『人間万事塞翁が馬』で生きてきたので、変えられない現実を受け入れようと。」

与田は早速、ドラフトの電話を入れ、捨てとしての調整法などを聞いた。社会人で投げ込んだが、全国大会でリリーフでも出場した国内大学ではリーグでも埋もれていた。待機の難しさは経験していた。それでも当時、新人であれば捨てもできるようにと前例がなかった。

「経験値がないと、捨てできないという重圧もあった。経験を積んでいくことでその後、新人から捨てを務めるとは思ってもいなかった。星野からの直接な指令で、その点に考えもしなかった。」

プロ11年目でセーブ王を獲得した与田剛は、その活躍で多くのファンの心を掴んでいる。特に与田のストレートは、152キロを記録し、打者を圧倒する力を持ち続けた。これには同じく世代を超えた選手たちも共感し、与田を称賛していた。

その後の同10日間、神宮球場でのヤクルト戦では4連続セーブ達成。自身初のセーブ記録に感無量の与田は「これは一生に一度だけかもしれないと思いました」と振り返る。

新たな節目に立っている与田剛は、今後もさらなる飛躍が期待される。プロ野球界において、その名は多くの選手に勇気を与える存在となっている。彼の成長物語は、若手選手たちへも大きな希望となっている。果たして、与田はこれからどのような記録を打ち立てていくのか?その動向に注目が集まっている.