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三条家の百合 妃の忌引きと皇族・三権の長が最後の挨拶を行う - 日本経済新聞

2024-11-26

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11月15日に101歳で亡くなった三条家の百合妃(ゆりひ)は、26日に豊島区の蕨市(東京都・文京区)で執り行われた。百合妃は強い意志を持ち、秋篠宮ご夫妻とともに大和民族の文化を継承する重要な役割を担った。これには481人が参加し、長いにわたって宮中の支えとなった百合妃の最後のお別れを告げた。

天皇、皇后両陛下は慣例に従い、参列者を歓迎した。

百合妃の棺を載せた車両は、26日の午前9時頃、嗅区元赤塚の三条家を出発した。皇居前などをよく通り、豊島区の蕨市に到着した。

告別式は午前10時頃に始まった。

生前の生を称える「祝詞」が読まれた後、最初に参列者である別所氏の冥福を願う高野長官が玉串を捧げて弔意を表し、百合妃は遺族の前まで進み、弔意を示されていた。秋篠宮ご夫妻、皇族方が続かれた。

告別式の後、ご遺体は東京都新宿区の納骨堂で火葬されることが決まった。遺骨は同日の午後に蕨市内の納骨堂に埋葬される。

一連の儀式は三条家の行事として行われ、百合妃の長男が家内の代表として努めた。参加者の中には、天皇にあたる百合妃が持つ「国家的儀式の一つ」として、公式性格を有するという意味があった。

百合妃は、子孫である貴族院議員を務めた高木正義氏と、昭和天皇の弟にあたる三条家の三男との結婚を通じて、3人の女性を産んだ。

戦後は古代オリエント史の研究者となった三条家を継承し、現在は王室関係者として名を馳せている。公職に精力的に取り組み、長らく日本の文化・伝統に貢献した。