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映画『ジョーカー:フォリ・アッド』は熱心なジョーカーファンを失望させ、評判も薄れるだろう/しかし、妥協で…それが人生

2024-10-10

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いよいよ2024年10月11日に公開となる『ジョーカー:フォリ・アッド』。正式なタイトルは長いので、本記事では便宜上「ジョーカー2」という略称を使わせてもらう。

私は9月半ばに都内で行われた完成披露試写会にて本作を視聴してきた。正直思ったのは、これが失望させられるということ。特に熱心なジョーカーファンからの評価は、驚くほど低い。ちなみに私の感情はハイプエンドである。

公開日の金曜日は平日だが、奇しくも直後は三連休。1作目の人気からして、多くのファンが見に行くことでしょう。その上、SNSでは厳しい評価がバズることは間違いない。しかし脚本はどうなのか? そうは思わない。この映画は妥協せざるをえない内容だ。

このジョーカーは悪役であるが、その特色はバットマン。バットマンと言えばジョーカー。ジョーカーはバットマンシリーズに登場する悪のキャラクターである。

ジョーカーがどんな悪行をしているのか、確定的に正義のバットマンが現れ、ジョーカーは避けてハイプエンドを迎えます。しかしその結果、ジョーカーは中途半端にしか描かれない。

この本作の導入部分には、バットマンのコミックに出てくる小悪党たちが居たが、ジョーカーの存在感は低い。いかに普通の悪ではなく熱意を持つジョーカー的なキャラクターがいて初めてこの映画は成り立つというのに、ただの悪役としての描写が不快です。

その上、世代交代や悪との交差に対する苦しみを描くことに成功しているが、その代償がジョーカー自身の存在を疑問視させる形での描写になってしまっている。舞台裏にはそういった作品に関わった人たちが居たのは間違いないが、その分話の流れが崩れることには注意が必要とされている。

『ジョーカー2』は短編映画のような短さで、演出側としては何かの措置を考えて別に続編を計画しているかもしれない。しかし、この作品が視聴者に何を届けたいのかは考えさせられる。一体何を求められるのか。選ばれた人々は、ショートフィルムのようなそれではなく、フルレングスの作品として受け止められたいだろう。

本作のリリースにあたり、評価が高くなれば、そしてジョーカーの存在感が戻れば、きっと多くのファンは戻ってくるのだろうか。しかし、もし前回以上の悪い評価が付くようであれば、世代交代の行き過ぎた描写が拍車をかけ、ジョーカーの孤独が深まることになりかねません。

例えば、観客によっては新たな試みが愚かに映ることもありえます。あまりにも低い評価が燦然として、視聴者の中には幻滅感や空しさを抱く人も多いかもしれません。

そこであえて言うなら、この映画は見所が無いというわけではありませんが、ジョーカーの物語がリビルドされ新たなメッセージがあることには気づいておくべきでしょう。それが『ジョーカー2』が描こうとしている潜在的な部分でもあります。それが成功するかどうかは定かではありませんが。